【表現の自由の危機】埼玉県警の「ヤジ」強制排除!公共の福祉の歪曲に要警戒!柴山昌彦「街頭演説で大声を出す事は権利として保障されていない」!

2019年8月27日(火)。先月の「埼玉県知事選挙」で自公候補の応援に駆けつけた柴山昌彦文部科学相(当時)の主導する「大学入試改革」に反対してヤジを飛ばした大学生が埼玉県警に強制排除された事件の続報です。柴山昌彦は閣議後の記者会見で「表現の自由は最大限保障されなければいけない」とした上で「大声を出す事は権利として保障されているとは言えないのではないか」と述べて独自の見解を示しました。所謂「公共の福祉」の解釈を捻じ曲げる危険な発想です。
■柴山文科相「大声出す権利、保障されない」応援演説「排除」問題に見解
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190827/k00/00m/010/221000c
毎日新聞 2019年8月27日 20時08分(最終更新8月27日20時08分)
埼玉県知事選で柴山昌彦文部科学相が応援演説した際、ヤジを飛ばした男性が警察官とみられる数人から「排除された」との指摘がツイッターに上がっている。これに関連して柴山氏は27日、閣議後の記者会見で「(演説の場で)大声を出すことは権利として保障されているとは言えないのではないか」との見解を示した。
■柴山昌彦文部科学大臣記者会見録(令和元年8月27日)
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1420623.htm
文部科学省 教育、科学技術・学術、文化、その他 令和元年8月27日(火曜日)
キーワード
第11回日中韓文化大臣会合、「大学入試英語ポータルサイト」の開設等、国際宇宙探査への参画に向けた方針、埼玉県知事選の応援演説において大臣に抗議する学生が排除されたとの報道に関する件、大臣がサイレントマジョリティは賛成ですとリツイートした件
Twitterの反応!
文科大臣の発言なのだから政府としての見解だ。
- 小西ひろゆき (参議院議員) (@onishihiroyuki)2019/8/27
「なぜ、違法な選挙妨害に該当すると考えるのかの具体的な根拠」について追及しないといけない。
正当な理由がなければ、「政治家に対する言論が警察権力によって侵害される国」になり果てているということだ。https://t.co/n0ASMwzW6N
13条見て下さい。RT @Narodovlastiye:柴山大臣が…学生に対し「喚き散らした」などと嘲弄するのも、言うに事を欠いて「大声を出す権利は保障されない」などと、憲法を無視した見解を公の会見で開陳するのは論外。
- 柴山昌彦 (@hiba_masa)2019/8/27
大集団になるまで警察は黙って見ていろと?RT @yumidesu_4649: 弁護士である柴山文科相に言っておきたいが、そもそも市民が街頭演説で為政者に怒りの声をぶつけるのは「表現の自由」にほかならず、男性の行動は選挙妨害罪に… https://t.co/cGw1qxjjib
- 柴山昌彦 (@hiba_masa)2019/8/28
演説にやじの権利「保障されず」文科相、埼玉県警取り押さえに(共同)https://t.co/3nwyo1lWlb
- 山崎 雅弘 (@as__yamazaki)2019/8/27
共同通信は、一応メディア企業のはずだが、なんで「表現の自由を巡り、柴山氏の発言は議論を呼びそうだ」と他人ごとのように書くのか。報道の仕事にも拡大解釈しうる重大な発言なのに、なぜ傍観するのか。
こういう首相や大臣の暴言をメディアが最後まで追及して撤回させないので、それが「新たな基準」として既成事実化される。権力側がやっていいことと悪いことの白線が、そのたびに引き直される。社会の倫理規範が壊れる。今の日本のメディアは最後まで追及しない。権力側の白線引き直しに加担している。 pic.twitter.com/CgerhvYdLw
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) August 27, 2019
教育行政を司る省庁の大臣が、首相の演説に市民が野次を飛ばす権利は「保障されていない」と発言した。中国や北朝鮮のような政治体制の国なら普通の光景だが、ついに日本もこういう国になってきた。権力側による国民の自由と権利の制限は、少しずつ段階的に進む。メディアが無批判なら救いようがない。 pic.twitter.com/IsWhg8Moco
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) August 27, 2019
公選法で禁じられているのは、「一般聴衆がその演説内容を聴き取り難くなるほど執拗に自らも弥次発言或は質問等をなし一時演説を中止するの止むなきに至らしめる場合」(昭和29年11月29日の大阪高等裁判所による司法判断)に限られる ... 国会議員なら、もっと法律を勉強すること! pic.twitter.com/RAp7uAocEQ
— Hiroshi Matsuura (@HiroshiMatsuur2) August 28, 2019
最高裁の判例もすでに出ている ... 知ったかぶりもいい加減にして欲しい。「柴山、辞めろ」程度で逮捕したら、それは公務員の職権濫用で当人が処罰される! pic.twitter.com/IjLF3MCc4J
— Hiroshi Matsuura (@HiroshiMatsuur2) August 28, 2019
『演説にやじの権利「保障されず」』
- きむらとも (@imuratomo)2019/8/27
驚愕の見解、「弾圧行為」そのものだ。こんな見解を容認してしまったら、いつでも為政者の思いのまま、自由自在に、市民の発言やデモ行為が禁止出来ることになってしまうぞ。即刻発言を撤回するとともに、即刻大臣辞任せよ。@shiba_masa https://t.co/bAlzCkqisr
露骨な弾圧を開始した安倍政権!
前述の事件について問われた柴山昌彦は「大声で怒鳴る声が聞こえてきた」「マイクを使って演説をしていたが明らかに私の耳に届いた」とヤジを飛ばした大学生の声のボリュームを問題視しました。また「表現の自由は最大限保障されないといけないのは当然」と述べた上で「主権者の権利として選挙活動の円滑・自由も非常に重要」「街頭演説会に集まった方々は候補者あるいは応援弁士の発言をしっかりと聞きたいと思って来ている」「私は大声を出したり通りがかりにヤジを発するという事はともかくですねそういう事をするというのは『権利として保障されているとは言えないのではないか』というように思っております」とコメントしています。
更に驚愕なのは記者会見の後にTwitterに投稿された内容です。一連の発言に対して批判を受けた柴山昌彦は「13条を見て下さい」と返答したのです。憲法13条は「すべて国民は個人として尊重される」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については『公共の福祉』に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めた条文です。敢えて「表現の自由」と関係のない条項を持ち出して「候補者や大臣に批判の声を上げる行為は『公共の福祉』に反している」と言っている訳です。
当然「表現の自由」は「公共の福祉」による制限を受けます。言うまでもなく「公職選挙法」は無制限に「ヤジ」を認めている訳ではありません。しかし、公共の福祉は基本的に「人権相互の矛盾・衝突」の調整機能です。一般的に「犯罪予告など刑事罰に相当する表現」「不健全図書(有害図書)など青少年の人格形成に有害である可能性のある表現」「ヘイトスピーチなど差別的な言動」等に一定の制限を設けるものです。
ヤジを飛ばした大学生の行動は「拡声器」などは使わず「暴力行為」も行わず「肉声とプラカードによる抗議行動」です。過去の判例に照らし合わせればは公職選挙法の「225条」及び「230条」に違反するものではありません。街頭演説で権力者に怒りの声をぶつけるのは「表現の自由の範囲内」に他なりません。弁護士である柴山昌彦は「基本的人権」を理解していない筈はなく「権力者に対するヤジは公共の福祉に反する」と宣って「表現の自由」に制約を加える口実にしているのです。
表現規制反対派は警戒レベルを上げるべし!
自民党の憲法改正草案(2012年版)は基本的人権について保障した条項の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」に変更しています。安倍政権は自分達に批判的な言動に対して公共の福祉の解釈を捻じ曲げて着実に基本的人権を制限を進めています。恐ろしいのは「警察」までこれに加担している事です。
北海道の札幌駅前で行われた安倍晋三の街頭演説で聴衆を強制排除した事件について朝日新聞は北海道警察に情報公開請求しました。参議院選挙の警備に関する内部文書では「社会に対する不満・不安感を鬱積させた者が警護対象者や候補者等を標的にした重大な違法事案を引き起こす事も懸念される」とした上で「現場の配置員には固定観念を払拭させ緊張感を保持させてこの種事案の未然防止を図る事」「警護は警察の政治的中立性に疑念を抱かれる事のないように十分配意する事」「人権侵害や選挙運動等に対する不当干渉との批判を受ける事のないようにその方法の妥当性に十分配意する事」と書かれていたそうです。
この方針に基いて強制排除を行ったのであれば「社会に対する不満・不安感を鬱積させた者」は「安倍政権に対して批判的な者」を指している事になります。更に、これは全国の都道府県警のトップなどに宛てて出した警察庁警備局長の通達だったのです。要するに安倍政権は警察を私物化して政権に批判的な者を取り締まっていた訳です。
柴山昌彦は内閣改造で閣僚ではなくなったもののこのまま風化させるのは極めて危険です。特に「表現規制反対派」は絶対にスルーしてはいけません。理由如何を問わず基本的人権の制限を認めれば終わりです。本気で「憲法改正」を阻止する方向でアプローチしなければ「表現の自由」は形骸化します。



