憲法改正の是非、正面から論じる 護憲派・改憲派が集会
http://www.asahi.com/articles/ASJ535K1CJ53ULZU005.html
朝日新聞デジタル 2016年5月3日 22時59分
憲法記念日の3日、各地で開かれた集会では、憲法改正の是非が正面から論じられた。参院選を控え、護憲派は改憲に向けた動きに危機感を強める一方、改憲派は憲法改正発議の実現をめざす。
基本的人権の尊重 立憲主義を見失ってはならない
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201605023486.html
愛媛新聞ONLINE 2016年05月02日(月)
「すべて国民は、個人として尊重される」。国は何より個人の自由な考え方や生き方を大切にしなければならないと、憲法13条は明確に示している。基本的人権の尊重は日本国憲法の根幹である。個人を守るために国家が存在する。だが、公権力は時に暴走し、人権を侵してきた。歴史の教訓を踏まえ、国民が生まれながらにして持つ権利を守るために、国家権力を縛る仕組みとして、憲法は制定された。その本質的意義を重く受け止めたい。社会に目を移せば、今、人権が守られているとは言い難い。
経済成長の掛け声の下、大企業が優遇される一方で非正規労働者が増え、格差の拡大が深刻さを増す。貧困にあえぐ人々は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(25条)を、子どもたちは「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(26条)を脅かされている。
東京電力福島第1原発事故では故郷を奪われ、見えない放射能におびえながら今なお避難生活を続ける人がいる。原発推進の国策によって、平和的生存権も幸福追求権も財産権も揺らぐ中、政府は経済を優先し、原発再稼働へ突き進む。一人一人の悲痛な叫びが切り捨てられる現状を憂慮する。政府は憲法に照らし、個々の暮らしを守らなければならない。それは憲法が国に課した義務だ。
だが、こうした憲法の原理を現政権は根本から覆そうとしている。安倍晋三首相がよりどころとする自民党の改憲草案は、「現行憲法は個人主義に偏している」との党内の声を背景に13条の「個人として尊重」を「人として尊重」に変え、自由と権利は公益および公の秩序に反してはならない、とした。
人権は誰もが当然持つ権利。国から恩恵として与えられるものではない。個人の権利より国の都合を優先し、国のためにならない者は人権を制限するといった暴論は決して許されない。そもそも個人主義とは代替え不可能な個を互いに尊重するものであり、身勝手な利己主義とは全く別物である。
草案は国民に憲法順守をも義務付ける。安倍政権は戦争を放棄した9条の変更を目指すが、戦争という国策が現実になれば公益を理由に人権が制限され得る。さらには「家族は互いに助け合わなければならない」との道徳まで盛り込んで、国民に国の責務を転嫁する。国民が国の暴走に歯止めをかける立憲主義とは全く逆の発想に、強く異議を唱えたい。
首相はかつて国会答弁で、立憲主義について「憲法が国家を縛るのは、王権が絶対権力を持っていた時代の考え方」と過去の遺物のごとく語った。憲法の本質さえ理解しようとしない政権の姿勢を危惧する。改憲論議の背後に潜むこうした危険を、国民はより注意深く見つめなければならない。憲法は人権を守る盾。かけがえのない支えをなくさないために。
12434氏に頂いた情報。愛媛新聞の社説。憲法記念日に相応しい必読の内容です。憲法改正がこれまで以上に現実味を帯びる中で、自民党の改憲案の危険性を伝えるのは地方紙が殆どです。大手ほど当たり障りのない内容になっています。この点を見れば改憲派の「本気度」が伺えます。手段を選ばずにあらゆる事を仕掛けて来るのは容易に想像できます。
改憲派の狙いは立憲主義の破壊。大日本帝国憲法のような非近代的な政治形態に戻す事にあります。本丸は「国家緊急権」と「基本的人権の制限」です。憲法9条改正はいわば表の筋書きです。その裏にある「真の狙い」に目を向けなければなりません。
立憲主義の解釈。国家の優先が個人を犠牲にしてきた歴史を踏まえて確立されたのが「近代立憲主義」です。その中心になっているのは「個人の尊重」と「法の支配」です。憲法の基本原理は国や政治家など権力を縛る鎖です。国民を縛るものではなく「国民が政治権力から身を守る為にあるもの」なのです。
日本の北朝鮮化を切望するネット右翼はこれを全否定するデマを吹聴してますが・・・。私達「一般国民」が立憲主義を「どう解釈するか」は問題ではありません。重要なのは実際に憲法によって縛られている政治家や役人などに「どう解釈できるか」です。
基本的人権。すべての人が生まれながらにして持っている当然の権利。愛媛新聞の記事に書かれてるように、国から恩恵として与えられるものではありません。個人の権利より国の都合を優先して人権を制限するといった暴挙は到底許されるものではありません。そもそも個人主義とは代替え不可能な個を互いに尊重するものです。改憲派の言うような「身勝手な利己主義」とは全く別物です。
要するに「権力者が一般国民を扇動して自分達を縛る鎖を破壊させる」というのが「憲法改正の本質」です。彼等からすれば「日本国憲法」は「都合の悪い存在」なのです。本来はそれを踏まえた上で冷静に賛否を判断すべきです。一般国民が護憲VS改憲で対立するのは本質を外れています。日本国憲法は日本国民の問題です。ドイツなどと比較して「他国が変えてるから変える」という訳のわからない論理はまさに論外と言えます。




