鈴木邦男さんに聞いた その1 右翼運動と日本国憲法
http://www.magazine9.jp/interv/kunio/kunio1.php
「憲法を変えればすべてがよくなる」わけではない
編集部 一般的に、いわゆる右翼団体の憲法に関する主張といえば、「自主憲法制定」とか「自国軍を持てるよう憲法改正を」とか、そういったものがイメージされることが多いと思います。私たちも、そうした主張の高まりをしばしば「右傾化」という言葉で表現しますし…。
鈴木さんは、学生時代から右翼運動にかかわり、1972年に「一水会」を設立、現在も顧問を務めていらっしゃいます。一方で、最近は「日の丸君が代を強制するのはおかしい」といった、いわゆる「右翼」のイメージからはちょっと意外な発言もたびたびされていますね。
そこでまず率直に伺いたいのですが、日本国憲法については、これまでどんな考えをお持ちでしたか?
鈴木 学生時代は、とにかく憲法そのものが全部許せない、諸悪の根源だと思っていました。「憲法が変わればすべてのことが良くなる」と思っていたんです。今から考えるとアホらしいんですけどね(笑)。
編集部 それは、どういった点からの発想なんですか?
鈴木 やっぱり、「アメリカからの押しつけ」だということ。この憲法は日本を骨抜きにしようと思って作られたもので、日本の伝統文化をすべて否定して、日本人の精神的な支柱を崩している。それを改正すれば、一人ひとりの日本人としての自覚も高まるし、国家の誇りも持てるし、犯罪もなくなるに違いないと考えていましたね。
でも、よく考えてみたら、日本人がつくった明治憲法のもとでも犯罪はあったわけだし、尊敬に値しない人もたくさんいたわけで(笑)。たとえ憲法改正して素晴らしい理想的な憲法ができあがったとしても、犯罪はなくならないだろうと。そう思うようになったんです。
編集部 そう思うようになられたのは、何かきっかけがあって?
鈴木 というよりは、右翼の運動をやる中でだんだんと疑問に思うようになったことがあったんですね。
たとえば、「日本の平和は9条じゃなくて安保のおかげ。9条なんて変えるべきだ」と言っていても、「でも9条にだって、軍隊を出さなくてよかったとか、プラスになった点はあったはずだ」とも思うことがある。でも、それは口には出せないんですね。対立する相手の言い分をちょっとでも認めたら、自分たちの言い分は100%崩れる、という思いがあるから。『朝まで生テレビ』に出て、*小田実の言っていることに「なるほどな」と思う部分があっても、うなずいちゃいけない、左翼に手を貸すことになるから、みたいな風潮があったんです。
*小田実
作家、平和活動家。「ベトナムに平和を! 市民連合」代表を務めた。「9条の会」呼びかけ人の1人でもある。
編集部 相手の言うことは否定して、とにかく「憲法を変えればすべてよくなる」と唱え続けるわけですね。
鈴木 今の自民党が言っているのと同じ感じですよね。自民党は、自分たちが戦後ずっと政治をやってきたにも関わらず、成果が上がらなかったのは全部憲法と教育基本法のせいだ、ということで、「憲法を変えればすべてうまくいく」。自分たちの努力不足や力のなさを弁解する口実として、憲法は非常に「便利」だったんじゃないですか。
逆に、「平和憲法を守ろう」と言っている人たちのほうにも、「とにかく憲法を守ってさえいればいいんだ」という姿勢があるように感じた。内心では、天皇条項はいらないとか、こんな権利を書き加えてほしいとか思っていたりしてもね。右も左も、憲法についてはなぜかそういう「タテマエ」がすごく大きいんじゃないでしょうか。
そう考えるうちに、「憲法を変えればすべてよくなる」というのも、「憲法さえ守っていればそれでいい」というのも、どちらも嘘なんじゃないかと思うようになったわけです。
自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法を選ぶ
編集部 では、今の時点では、憲法についてどんなふうにお考えですか。特に、安倍内閣が掲げる「改憲」の構想については?
鈴木 僕は今でも「自主憲法の制定」には賛成だし、憲法を見直すこと自体はやるべきだと思っています。でも、今の自民党政権がやろうとしている改憲は、かなり国民の自由を制限するものですよね。常に「国のため」「公共のため」で、国民は自由だとか自分の権利だとかバカなことは考えるな、という。
編集部 自民党の「新憲法草案」では、国民の権利は「公益および公の秩序」によって、大幅に制限される内容になっていますね。
鈴木 そもそも、国家があって国民がいるんじゃない。国民がいて、その国民の自由と平和のために国があるんです。憲法だって、国民の権利のためにあるものでしょう。僕は今の憲法は押しつけ憲法、占領憲法だと思ってますけど、自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法のほうがずっといい。
憲法の前文もね、以前は「あんなわかりにくい、英語で読んだほうがわかりやすいような文章は日本語じゃない、本当の日本語に変えるべきだ」と思っていたんですけど、中曽根さんが書いたやつとか、その後舛添さんが書き直したのとかを読むと、今のもののほうがまだ格調高くていいなあ、と(笑)。
編集部 「改憲派」ではあるけれど、今の政府が掲げる改憲には賛成できない、というお立場ですね。9条についてはどうですか?
鈴木 現実のほうがどんどん進んで、憲法がそれに合わなくなってしまってるから、現実に合わせるために憲法を変えるんだという人がいますけど、さみしい話だなと思いますね。もともと、夢や理想を書くのが憲法というものでしょう?
イギリスなんかには、成文法の憲法はありません。その意味では、日本だって憲法がなくたって、法律だけでやっていこうと思えばいけるんです。それでも憲法をつくるのは、国家の理想をうたいあげるものだからですよ。
編集部 その理想がもっとも表れているのが、憲法9条。
鈴木 「戦争のない世界に」というのは、夢物語かもしれない。でも、60年前には、少なくとも日本は「やれるかもしれない」という夢を抱いてそのスタートを切ったわけですよ。それを100%捨ててしまうのもアホらしい。僕は左翼学生とさんざん闘っていたから、彼らの主張のくだらない部分もよくわかるけれど、彼らが語っていたような夢とか理想とか、そういうものまでなくすべきじゃないと思うんです。
本来なら、9条はそのままでスイスのような永世中立国を目指すとか、自衛隊はとりあえず認めるけれど、保安隊に、そして警察予備隊にと徐々に縮小していくとか、そういう選択肢もあるはずだし、議論はできるはずです。ところが、今はテレビの討論番組でもなんでも、声が大きくて勢いのいいほうが勝つようになってしまってるから、「そんな夢みたいなことばかり言っててどうするんだ、ばかやろう」みたいに言われて、建設的な議論ができないんですね。
表現の自由は、もっと大幅に認めるべき
編集部 先ほど、鈴木さんは「憲法を見直すこと自体には賛成」とおっしゃっていましたが、具体的にはどの点を「見直す」べきだとお考えなのでしょうか?
鈴木 まずは、表現の自由はもっと大幅に認めるべきですね。ちらし配り、ビラ貼り、街宣、デモ、集会はすべて無制限に自由にする。そのくらいやっていいと思います。
明治時代に*植木枝盛という人がつくった憲法草案には、「抵抗権」や「革命権」まで書かれているんですよね。それにも僕は賛成です。国は人民のためにあるんだから、その権利が抑圧されたら革命を起こす、国家を打倒する権利を有すると、書けばいいと思う。
何より、憲法はそういうふうにもっと自由に論議されていいし、するべきものだと思うんですよ。「天皇制がいらない」というなら、1条から8条はもう削除してしまうとか、そういうことも論議すればいい。僕も、天皇制は憲法よりずっと古くからあるものだから、たかだか120年の歴史の近代憲法に、わざわざ書かなくてもいいかなと思っていますよ。
*植木枝盛:明治時代の自由民権活動家。高知県会議員、衆議院議員などを務めた。彼が起草した「東洋大日本国国憲法」は、当時作成された「私擬憲法」の中でももっとも先進的な内容といわれる。
編集部 ただ、憲法について論議する、そして改憲という可能性自体を認めてしまうことで、今の状況では自民党が掲げる改憲案、つまりは9条の改悪につながってしまうのではないかという懸念もあります。
鈴木 そうなんですよね。僕も以前、左翼の人たちに、今の憲法は旧仮名遣いで書かれているから、これだけでも新仮名遣いに直したらいいんじゃないかと言ったことがあるんだけど、「そういうことを言うと憲法改正論議に巻き込まれて、9条が変わってしまう」と言っていました。
実際のところ、今の憲法の条文に100%護憲だという人はほとんどいないと思うんですよ。みんな、どこかしらには不満があると思う。でも、それで9条を変えることになったら嫌だから護憲と言っておこう、100%支持しているふりをしておこう、みたいな。ここでも「タテマエ」があるんじゃないのかな。
編集部 否定できない部分はあるかもしれません。世論調査などを見ても、環境権やプライバシー権を入れるべきだという声はかなりありますし。
鈴木 だったら、憲法改正論議の前に、「改正してもこれだけは変えない」という前提をつくる運動を起こせばいいと思うんですよ。たとえば「徴兵制はしかない」「海外派兵はしない」「核は持たない」とかね。もっと項目があってもいいけれど、これだけは変えない、と決めた上で論議をする。それなら、安心してやれるじゃないですか。とにかく、これから国民投票法案が動き出すまでの3年間に、もっともっと自由に、オープンに論議できる場をつくるべきです。
それによって、改憲には賛成だけれど、今の政権のもとではやりたくない、という人を巻き込んでいくことにもつながる。慶応大学の小林節さんは「今の自民党には憲法改正の資格はない」と言っているし、小林よしのりさんだって、もともとは改憲論だったけれど、今の自民党政権で改憲したら、アメリカの要求を全部呑んで、自衛隊がアメリカにくっついてどこにでも行かなくちゃならなくなるから、それなら今のほうがいい、と言うようになっている。自民党のもくろむ「改憲」を本当に止めるためには、そういう人たちを巻き込む運動をしないと駄目なんじゃないでしょうか?
マガジン9の記事。右翼団体「一水会」の創立者である鈴木邦男氏の主張。念の為ですがこれは古い記事で「自民党改憲案」とは現在よりほんの少しマシだった2005年版を指しています。この「自由のない自主憲法より自由のある占領憲法を選ぶ」に感銘を受けて保存していたものですが憲法改正はさすがにありえないと思っていたので今まで御伝えしませんでした。当時より悪化した現在の自民党改憲案を氏はどう考えているのでしょうかね?。
鈴木邦男さんに聞いた その2 愛国とは、強要されるものじゃない
http://www.magazine9.jp/interv/kunio/kunio2.php
憲法違反の公安警察を、まず逮捕すべきだ
編集部 鈴木さんは前回、憲法を改正するなら、表現の自由をもっと幅広く認めるべきだ、とおっしゃっていました。しかし、現実にはマンションの郵便受けに「イラク派兵反対」のビラを配っただけの人が逮捕されるなど、近年どんどん締め付けが厳しくなっているという気がします。
鈴木 合法のはずのデモをやっても集会をやっても、公安警察に眼をつけられて弾圧されるということがひどくなっている。デモなんかやるのにも、ものすごい面倒くさい手続きが必要で、その上バチバチ写真を撮られたり、挑発されたり。だったらそんなの一切出ないで隠れて非合法闘争をやろうとか、ネットでやろう、ということになりますよね。
編集部 ネット上での政治的な発言が活発化、あるいは過激化しているのは、そういった理由もあるのかもしれませんね。
鈴木さんは『公安警察の手口』という本の中で、「治安の悪化で現場の警察官の人手不足が深刻になっている状況下でも、公安警察はそちらに余剰人員を回したりせず、自らの巨大な組織を守ろうとしている」という批判をされていましたね。
鈴木 だって、60年代後半の学生運動と比べたら、今なんて政治的な活動に参加している人は、右翼と左翼両方合わせても1万分の1くらいでしょう。それなのに、公安の数は変わらないんですよ。
編集部 実際問題として、そこまでの数が必要なんですか?
鈴木 まったくいらないですよ。だけど、国際テロが、とかなんとか理屈をつけて仕事を増やしている。以前、公安の元幹部という人と対談をしたときには、「公安なんてもう必要ないでしょう」と言ったら、「いや、でもアルカイダとかに呼応する勢力が日本でもいるかもしれないし」と言っていました。さらには、「右翼は今だらしがない、右翼の本質はテロなのに、鈴木君のようにただべらべらしゃべってるだけじゃ駄目だ。本来の姿に戻れ」とまで言い出した。そういうふうに、公安が煽っているところもあるんですよ。僕はもう、そんな時代じゃないと思うんですけどね。
もちろん、公安が首相官邸を守ったりするのは自由にやればいいけど、「こいつは犯罪を起こすかもしれない」と、人間の良心にまで立ち入ったり、ビラ貼りやちらし配りという表現行為だけで逮捕するなんて、それはもう確実におかしいですよね。完全に憲法違反なんだから、本当はそんなことをやる公安をまず、人民の権利において逮捕しなくちゃいけないんですよ。
「安全を求める」気持ちが利用されている
編集部 そうして政府からの締め付けが厳しくなっていることはもちろん問題ですが、それ以上に懸念すべきなのかもと思うのが、国民がそれをかなり簡単に「受け入れてしまっている」ことです。監視カメラの問題もそうですし、マンションのビラ配りの件もそうですが、「自由が制限される」ことに対しての不自由さ、怖さがあまり認識されていない、という気がするのですが。
鈴木 僕は、学生運動をやったり右翼の運動をやったりしていた中で、さんざん公安にいじめられたり逮捕されたりしましたから、そんな締め付けや監視なんて冗談じゃない、と思います。でも、そういう体験はなかなか次の世代に伝わらないんですよ。
だって、一水会の後輩たちだって、僕が『公安警察の手口』を書いたときに、「どうして鈴木さんはそんな本を書いて、公安に対する憎悪を煽るんですか?」と言うんですよ。「だって、尾行とか嫌がらせとか、事実やられてるだろう?」というと、「何も感じません」。「街頭で演説しているときだって、公安が聞いてるだろう」と言っても、「でも、単なる聴衆の一人ですから」。これは駄目かなあ、と思いますよね。
ましてや一般の人は、右翼や左翼の活動家が「言論の自由の弾圧だ」とか「不当逮捕だ」などいろいろ言っても、「それは、おまえたちが捕まるようなことをあえてしているからだ」と思うでしょう。「自分たちは(そんな特殊な活動はしないから)警察がいてもらったほうがありがたい。子どもの安全も守れるし」と。そういう感覚なんですよね。
編集部 自由というものが、これまであまりにも当たり前にあったから、それを制限されるということに対しての恐怖感や嫌悪感が薄いということでしょうか。
鈴木 また警察が、そういう感覚を利用するのがうまいんです。マンションのビラ配りの一件にしても、やり方がうまいんですよ。住民のところに行って、配られていたビラを見せて「これを郵便受けに入れてるのは過激派ですよ。何人も人を殺してます。そういう奴にうろうろされてたら怖いでしょう? お宅にはお子さんもいるし」なんてことを言う。そりゃあ誰でも、「近寄らないようにしてくれ」と簡単に署名しますよ。その署名を根拠にして、公安が逮捕しちゃう。
署名した人たちが本当に「逮捕してくれ」とまで思っているかといったら、おそらく思ってないですよ。ただ、自分たちの幸せな家庭を守りたい、過激な人はなんとなく怖いから困る。それだけですよ。
編集部 それをうまく利用しているわけですね。最近の、監視カメラの急増もそういう図式によるもののような気がします。
鈴木 そうですよ。最初のうちはみんな「自分たちが監視されるなんて冗談じゃない」と思っていた。それがそのうち「防犯カメラ」になって、今は「セキュリティカメラ」。セキュリティならいいかな、なんてつい思っちゃいますよね。そういう市民感情をくみ上げるのが、警察は本当にうまい。と同時に、住民の側がそういう警察の力を求めてしまっているのも事実なんです。それがかなり怖いなあと思いますね。
編集部 警察の力が強まることによって、自分が監視される側になるんじゃないか、窮屈な社会になるんじゃないか、という方向にはなかなか思考が行かない…。
鈴木 「戦争をしやすい国にするために監視国家にしてるんだ」とか、「警察は軍事国家を目指してるんだ」と言っても、それは左翼の論理だとか、「過激派は野放しにしたら危ないから監視しなきゃいけないんだ」という反応が返ってきたりする。やはり思想戦争の次元では、警察のほうが勝ってますね。何か、もっと別の切り口で訴えていかなくちゃいけないのかな、という気がします。その上で「自分の問題だ」と気付かせなくてはね。
「愛国心」を測ることは誰にもできない
編集部 さて、近年、卒業式などでの日の丸掲揚や君が代斉唱、また通知票評価項目への「愛国心」の取り入れなど、学校の現場を中心として、官からの「愛国心」の押しつけが非常に厳しくなっています。昨年末に「改正」された教育基本法にも、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」といった文言が加えられました。
鈴木さんは昨年出版された『愛国者は信用できるか』という本の中で、ご自身を指して「愛国運動を40年もやってきた、君が代は5000回は歌った、これ以上の愛国者はいないだろう」とおっしゃっていますが、こうした「愛国心」をめぐる状況については、どのように見ておられますか。
鈴木 そもそも、愛国心なんていうのは精神の問題なんだから、「俺は愛国心がある、おまえはないだろう」とか比べること自体が不毛だと思うんですよ。僕が学生運動をやっていたときも、「俺が一番国のことを愛してる」とか、「天皇のためならいつでも死ねる、おまえにはそんな根性ないだろう」とか、そんな論争があったけど、結局声の大きい奴、しつこい奴が勝っていただけ。しかも、そうやって大きな声をあげていた奴らは、みんなとっくに運動をやめちゃいましたからね。愛国心なんて、誰かが測れるものじゃないんですよ。
編集部 通知票につけるというのも、どのように判断しているんでしょうね。
鈴木 「私は日本が好きだから」とか言えばAで、となりの何とかちゃんは自民党を批判したからDとか?(笑)
そもそも、歴史上の偉人を例に挙げて愛国心を教える、とも言われているけれど、誰を取り上げるのか。楠木正成とか乃木将軍とかを教えるんでしょうか。彼らだって、時代が変われば愛国者だし、また別の時代なら反逆者ですよ。新撰組だって、京都で天皇のために闘ったんだから、愛国者かもしれないですね。白虎隊とか、西郷隆盛とか。
そんなふうに、その時々の政府の判断で「愛国者」を決められたりしたらたまらない、と思います。
編集部 今年の春、政府の教育再生会議が、「子育ての留意点や教えるべき徳目などを盛り込んだ」として「子育てを思う」と題する緊急提言を発表しようとしました。結局、あまりにお粗末な内容だったので、各方面からの反対の声によって断念しましたが、それに象徴されるように「正しい国民」とはこういうもの、という型に、どんどんはめられようとしている気がします。
鈴木 以前、独身税をつくれという議論がありましたよね。少子化が問題になっているから、どんどん結婚して子どもを産め、独身は罪だから税金を取れ、と。そうなると、私なんかはもう、立派な非国民ですよ(笑)。「国民はどうやったら幸せになれるのかもわからないから、その道筋を我々政府が考えてやるべきだ」というふうに、思い上がっている気がしますね。
編集部 そういえば、『愛国者は〜』の中で、日本には謙譲語があって、自分の身内や属するもののことは、愚息、弊社、なんていうへりくだった言い方をする。であれば、国についてだって、愚国、弊国とでも言えばいい。自分だけが高みにたって「愛国」、「この国を愛する」なんていうのは傲慢だ、と書いてらっしゃいました。国民も、政府も、どこか傲慢になっているということでしょうか?
鈴木 そうかもしれません。本当は外に対してはへりくだって、弊国、愚国と呼ぶくらいでちょうどいいのに。安倍首相は「美しい国」というけれど、国家が美しくある、というのはちょっとどうかと思う。国民一人ひとりが、そして国家が謙虚である、そのほうがずっと日本的であり「美しい」のではないでしょうか?
表現の自由の重要性を理解してる保守派は本当に貴重。警察権力の矛先は右翼左翼に関係なく国民全体に向けられています。ネトウヨは氏の記事を読んで本当の意味で「保守派」というものを知った方が良いと思います。元自民党支持者の私がそうであった様に・・・。ちなみに氏は脱原発賛成でもあります。




