<メディア時評・改憲で進む権利制限>市民脅かす「強い国家」 揺らぐ表現の自由保障
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191091-storytopic-9.html
[琉球新報 2012年5月12日]
2007年に成立した憲法改正手続きを定めた国民投票法は、自民党政権下で最終的に強行採決で成立した。その後、改正への慎重論が根強かった民主党に政権が移ったこともあり、当初予定されていた制度整備がほとんど進まないまま時間が経過していた。しかし11年以降、立て続けに具体的な検討作業が始まっている。
その一つは、改正のための憲法審査会がまさに3・11震災後に開始された。また、法が18歳以上の投票権を認めたことに伴う検討作業も、10年の法施行直前から中断していたが、今年2月に再開した。設置から4年以上経過しての始動だが、東日本大震災からの復旧・復興や福島第一原発事故の収拾を優先させるべき時に、憲法改正は緊急を要する政治課題ではないとの意見が強い。しかし自民党は、逆にこうした時期だからこそ「前文、安全保障と9条、緊急事態条項などについて新しい時代に対応できる憲法改正を実現したい」と述べ、国民投票法が求める改憲手続きの整備を急ぐよう一貫して求めてきた経緯がある。
こうした法改正作業と並行して、4月に入って自民党が全条文の新旧対照表をつけた「日本国憲法改正草案」を発表。たちあがれ日本も「自主憲法大綱案」を、みんなの党も維新の会と連携しつつ「憲法改正の基本的考え方」を公表している。天皇を元首とし、国旗・国歌を明記するといった三党共通項があるほか、国防軍の創設や人権の制限条項の新設など、いわば保守色が強いのが特徴である。なお、具体的な憲法改正案としては、読売新聞社が1994年11月に「読売憲法改正試案」を発表しているが、内容的に共通項も多い。
■保守色強い改正試案
各党の特徴を述べると、みんなの党は、憲法改正をしやすくすること、地域主権型の道州制にし、国会の権限を制限すること、総理大臣を公選制にし権限を拡大することであり、橋下徹大阪市長の主張とうり二つである。たちあがれ日本は、占領軍に強制された憲法を捨て、自主憲法の制定を謳(うた)い、自衛軍の保持と自衛権の行使をいう。「人権保障の前提となる国家・社会の秩序を維持するために求められる義務を果たすこと」を求めているが、個人の権利行使が国家・社会の利益の関係で制約されることを憲法上で明示することになる。総理大臣の権限強化や憲法改正要件から国民投票をはずして国会議決だけで可能とするほか、憲法裁判所の設置を規定する。
そして自民党である。特徴は9条の「戦争の放棄」を改め「安全保障」と題し、自衛権の行使とそれに伴い軍力の放棄を削除し国防軍の設置を明示する。これまで自由と権利を守ることを求める条文は、「国民の責務」というタイトルの下、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」との義務規定に性格を変えた。
幸福追求権も「公益及び公の秩序に反しない限り」の条件つきの権利となった。これはまさに、原則と例外の逆転そのものであって、明治憲法下において「法律の範囲」という5文字によって憲法保障が空洞化した歴史を思うと、まさにその時代の国家権力を絶対視し、「国益」のために個人の権利や自由を奪うことを当然視する法体系を是とするものに他ならない。
この規定ぶりは表現の自由保障にも及び、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社すること」は憲法で保障する自由の枠外であることを明示する。一見この例外規定は、ドイツに代表されるナチズムのような反民主主義的な思想・表現を自由の枠外において社会から排除する方法に似ている。しかし、戦争の経験から、思想・表現の自由に一切の例外を認めず、絶対保障を是としてきた日本のモデルを根底から変えるものにほかならない。国への批判を公益に反するとして取り締まることを可能とする国に変えることを、「普通の国」化であるといっているように見えるのである。
■「国の都合」優先
また軌を一にして政府は、憲法理念とも直接かかわる政府の基本方針ともいえる武器輸出三原則の見直しなど、矢継ぎ早に政策を打ち出しつつある。そのほかにも、基本的人権にかかわるとして先送りされてきた刑事訴訟法の共謀罪や子どもポルノ禁止法の単純所持罪の新設なども、政治日程に上がってきている。国民共通番号利用法(マイナンバー法)、あるいは国家秘密保護法(秘密保全法)など、自民党政権時に民主党が反対していた政策を、むしろ当時よりも強化した形で実行することに熱心であるともいえる。
また、批判の声を無視し実質審議なしで、4月末には新型インフルエンザ特措法が成立した。集会や移動(外出)の禁止措置を含む、強力な私権制限が盛り込まれていることは前月当欄で指摘した通りであるが、現政府(国会)には「修正力」が存在しないところが強く憂慮される。
とりわけ、ここに挙げたような新しい法制度は、公権力の監視という社会的役割を担う取材・報道に直接的に関係する条文を含んでおり、十分な議論が求められる問題であるが、政府の対応はこの点がなされてない。だからこそ余計に、こうした基本的な政府の姿勢や態度を「国のあるべき姿」として、憲法改正論議の中で確認しておく作業は不可欠であるといえる。
5・15に向けて実施された世論調査で明らかになった、本土と県内の基地に対する住民意識の差こそが、まさに「沖縄差別」の固定化につながりかねない危険を孕(はら)む。それを防ぐには、当事者の声を大切にし、その問題解消に向けた施策が実行可能な社会の存在が必要である。まさに「言論出版その他一切の表現の自由」や「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が、震災や原発事故の被災者、貧困や格差の拡大、基地で苦しむ人々に真に保障されているのかが問われているのである。
にもかかわらず、「国の都合」を優先させて個人の自由や権利を我慢してもらうことを、国の基本的なルールに定めようとしているように思える。憲法で保障されるべき権利や自由の拡充こそが議論されるべきであって、そのために現行憲法の理念や果たしてきた役割をめぐる議論が深まるなら、大いに国会で時間を費やしてほしい。しかし審査会の過去の議論を見る限り、そうした期待は残念ながら持てないし、各党の憲法改正案に市民的自由や権利の拡張といった理念はまったく見当たらない。むしろ彼らが目指す「強い国家」の誕生が、市民生活に与える影響を強く危惧する。
(山田健太 専修大学教授・言論法)(第2土曜日掲載)
ちょっと古い記事なので知っている方も多いでしょうが一応「拡散希望」で御願いします。
山田健太氏(専修大学教授)の見解。憲法に詳しい方の指摘なので危険性を理解し易いと思います。
自民党だけでなく他の政党の改憲案に対しても意見を述べています。
保守色が強いと一見正しい事の様に錯覚してしまうがこれを読めば反対せざるを得ないはずです。
大雑把な言い方だが「憲法9条」など勝手に議論すれば良いし勝手に改正すれば良いのですが「憲法21条」の改正だけは絶対に認めてはいけません。これは「人権救済法案」「児童ポルノ禁止法」「違法DL刑罰化」「著作権法違反非親告罪化」等のあらゆる悪法に関係する重要な問題で「コンテンツ文化」がどうとかのレベルではありません。反対するなら今のうちです。
これを撤回しない限り絶対に「自民党」を与党にしてはいけない我が国を中国の様にしたくなければです。
それでも尚自民党を支持するというならば「全ての悪法」を呑む覚悟をしておく必要があるそれだけの代物です。
「自民党憲法改正案の本質」 - 森永卓郎
http://blogos.com/article/39731/
[マガジン9 2012年05月25日 00:00]
自民党の憲法改正草案が発表された。日の丸を国旗、君が代を国歌と定め、自衛隊を国防軍と位置づけるなど、従来からの主張を鮮明に打ち出している。それはそれで大きな問題なのだが、私が一番気になったのは、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることだ。
例えば第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」との現行規定に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加したのだ。
これだと権力者が「公益及び公の秩序を害する」と判断したら、表現の自由が許されなくなってしまうことになる。ファシズムもはなはだしいのだ。
第12条にも「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書かれている。
結局、秩序優先、公益優先で、権力者の意向次第で、国民の基本的人権は制約されるというファシズム、極右の世界観が、この憲法草案の基本理念なのだ。
いま欧州では中道右派政権が行ってきた財政引き締め、新自由主義路線への批判が大きく高まっている。2000年頃に欧州では中道左派政権が崩壊し、中道右派政権が次々に誕生した。しかし、10年間に及ぶ新自由主義が創り出した弱肉強食社会では、経済が上手く回らないということを欧州の人たちは学習したのだ。
その結果が、フランス大統領選挙であり、ギリシャの議会選挙なのだ。しかし、社会党のオランド党首が大統領選挙を制したとは言え、見逃してはならないことがある。それは、フランスの大統領選挙の第一回投票で、極右のマリーヌ・ルペンが、オランド、サルコジに続いて、第三位、18.0%もの得票を集めたという事実だ。
中道右派から中道左派への政権回帰が進む陰で、極右勢力が急速に支持を拡大しているのだ。
日本も、この動きと無縁ではない。国民の圧倒的支持を得ている橋下徹大阪市長は、「君が代斉唱の際の口元チェックは行き過ぎではないか」との記者の質問に対して、「君が代は公務員の社歌だ」と開き直った。また、市職員の入れ墨をアンケート調査し、調査に応じなかった職員は、在任期間中は昇進させない方針を明らかにした。
ただ、さすがに入れ墨問題では、人目に触れる箇所に入れ墨をしている職員を市民の目に触れない部署に配置転換させる方針を打ち出した。これまでの勢いだったら、入れ墨をしている職員は、分限免職だと言い出しかねなかったのだ。
法令遵守の心が橋下市長の心にも芽生えたらしい。しかし、橋下市長の言動は、細かい法律を守ったとしても、やはり法律違反だと私は思う。憲法に違反しているからだ。
もし、この自民党憲法改正草案が原案通り成立したら、橋下市長のハシズムは、何ら法律違反ではないことになってしまう。
そうやって、日本は基本的な人権を失っていくのだ。戦争で人命が失われることは、悲惨なことだ、しかし、それ以前に、集会、結社、言論、出版などの自由が失われることは、事実上命を失うに等しい苦痛を国民に与える。
ファシズムの時代に戻るのか否か、日本人はいま大きな分岐点に立たされているのだ。
これはいまだに自民党改憲案の危険性を理解できない自称国士様に是非読んで欲しい思います。
リンク先のコメント欄を見てると自殺志願者にしか見えないし日本人も終わりかなと絶望的になります。
自民党の案だというだけでここまで都合の良い様に解釈できるのはある意味凄い事です。
確かに森永卓郎氏は政治の専門家ではないし入れ墨の件で余計に分かり難くなってる気はしますが・・・。
それでもさすがにリンク先でコメントしてる人達よりは「表現の自由」の意味をよく理解されてます。
何処をどう見れば在日外国人や人権屋を取り締まるものだという馬鹿げた解釈が出来るのか理解できません。
森永卓郎さんがこの記事で言いたいのは
「私は、第12条および21条によって反社会的勢力を擁護します」
てことかな?
05月25日 13:35 返信するシェアする
この勘違いが最も多いがそもそも反社会的な行為をした人を罰する仕組みはすでにあります。
犯罪行為を罰する法律はあるしオウム真理教事件で御馴染みとなった団体規制法や破防法などもそうです。
改憲案を作ったのは自民党。しかし公権力=自民党というのは間違い無知にも程があります。
憲法とは公権力=強者が国民=弱者を不当に弾圧しない為に存在するもので犯罪者の為にあるものではありません。
要するに「強者が自分達の規制を緩和し弱者を弾圧し易くする」のが「憲法21条の改正」なのです。
左派政党も警察も公権力であるという事を忘れてはいけない彼等が反社会的と判断すれば何でも取り締まれるのです。
余談。しかしまあ日本で活動してる表現規制推進派団体はこれが通ったら困ると思うが反対しなくていいのかな(苦笑)。




