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反対活動の基本 請願書・陳情書で意見&選挙ボランティアのススメ

規制反対活動
■請願書&陳情書という形で意見する方法!

請願・陳情・意見書の手続(衆議院)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_tetuzuki.htm
請願の提出(参議院)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/seigan.html


嘆願書の書き方
http://sarakin.nagesen.net/kangan/
嘆願書 書き方ナビ
http://kakikata.soug.biz/archives/51138882.html
嘆願書の書き方マニュアル
http://blog.livedoor.jp/megunuu/
嘆願書の書き方
http://blog.livedoor.jp/bobbob1231/archives/54480137.html


手紙で御願いではなく「請願書」「陳情書」という形で意見する方法。きちんとした書式で意見する事は地味に効果があります。特に難しい決まりもないですし手紙以上ロビイング未満の活動。これは「未成年」「日本国内に在住の外国人」の方がやっても問題ありません。

請願書⇒これは規制派が署名付でよくやってますが「紹介議員」が必要。個人でロビイングしてる方にオススメです。

陳情書(嘆願書)⇒請願書より効果は薄いが紹介議員を必要としません。議長が必要と認めたものは「適当の委員会」に参考の為に送付されるとの事。同じ案件で数が集ればかなりのアピールになります。ちなみに「陳情」「嘆願」は同じ意味ですが前者が一般的なので「○○に関する陳情書」と書く方が無難です。

衆議院議長の挨拶(伊吹文明)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_message.htm
参議院議長の挨拶(山崎正昭)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/aisatsu/aisatsu.html


手紙と同じで「感情的な文章」は厳禁。誤字脱字に気をつけて。送り先は「衆議院(参議院)の議長宛て」「住所」「氏名」を明記し「押印」の上「郵送」で送ります。同時に「参考資料」「署名簿」がある場合は末尾に添付。書式や用紙サイズについては随意との事。請願書及び陳情書は「会期」が変われば同じ文面で送っても問題ありません。

■請願書&陳情書の書き方参考サイトリンク集!

要するに手紙のバージョンアップ版。政治家議会に対して本気度を示すのが狙いです。

できることから始めよう あなたも陳情書を出そう
http://www.geocities.jp/alfalfaljp/begin/dekiru/tinjo.html
はやぶさ2で野田事務所に嘆願書を送った
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2011/12/2-3dde.html
■[表現規制]陳情書の書き方
http://d.hatena.ne.jp/ayanami/20100310#p1
■[表現規制]陳情書の書き方(青少年健全育成条例改正案(2010年11月提出分)用
http://d.hatena.ne.jp/ayanami/20101124
請願雛形&全サンプル
http://freejapan.tv/?Word%2F2009-10-27%2FDownload
東京都青少年健全育成条例改正案への陳情書の書き方まとめサイト
http://www15.atpages.jp/~kageyanma/hiji/index.html
「非実在青少年」規制問題・対策まとめ跡地
http://hijituzaiatoti.ehoh.net/
陳情書ってなにを書けばいいの?
http://schwarzeritter.jounin.jp/c1.htm
記載例4「陳情書」
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/hunsou/hun_04.pdf#search='陳情書の書き方 例文'
リンク先「ピチュ氏」のコメントに要注目
http://otakurevolution.blog17.fc2.com/blog-entry-1794.html


これは「議長宛て」に限らず「すべての政治家」に対してこの形で意見しても問題はありません。例えば「総理大臣」「○○党政調会長」「地元議員」宛てでもOKです。数が集れば多少は目に留まる筈です。


■規制反対派の課題と選挙ボランティアのススメ!

以下はカマヤン氏の記事。太字の部分に要注目。選挙ボランティアで顔を売るのは重要との事です。

■[表現規制][政治]お手紙を送った次のステップとか
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100807#1281185531


http://d.hatena.ne.jp/kamayan/comment?date=20100805#cへの返信

≫ブリコ 2010/08/06 09:27
≫自分は、高校の無償化が大変ありがたかったので、〔略〕鳩山氏が失脚するちょっと前に官邸にありがとう応援しますメールを入れたのですが、数十通集まらないと届かないのね(ーー)

数十通集まれば報告がほぼ確実に上がるということでありまして、一通の心を打つメールが届かないというわけではありませぬ。

≫そろそろ、自分たちの中から、議員さんを出した方が良いんじゃないかと思えるんですよね。保坂展人さんは、もの凄く勉強してくれていて、頼りがいはあるとおもうんだけど、今は、たった1人でしょう。

オタクは票田としてまだ貧弱でございまして、保坂展人さん一人を当選させるのにさえ、あと5万人程度のオタク票が必要であります。二人目などまだ現実的に丸っきり無理であります。

≫それと、どうしても『あ。うん。』と、言う事はないですよね。

保坂展人さんはけっこう「あうん」が効きますよ。スタッフにオタクや表現規制反対活動な人がいるから。

≫ノノ 2010/08/06 11:15
≫手紙やメール以上の事をしたければ何ができますかね? ご指南いただければ幸いです

選挙を手伝うことであります。それに始まりそれに終わります。我々の意見を受け入れる人が当選するのだ、という前例を積み上げることが一番重要であります。

それはそれとして、手紙を送れば、心ある議員なら国政報告会などの案内を時々返送してくれるようになるから、そういうのに顔を出して、顔を繋ぎ、自分の「表現規制反対」意見を議員本人やスタッフに伝えるのはものすげえ重要です。ロビー活動とはそういうことを言うのであります。

「お手紙」の次の段階として、一人でできることは3つある。

1つめは選挙を手伝うこと。

2つめは国政報告会などに参加すること。あるいはその議員のファン活動を始めること。国会での発言への感想を議員へ送ることなどは大いに推奨する。

3つめは地道な調査を行い、それをwebに発表すること。


以下3つめについて。

≫@chunpai オーバーブロッキングの問題はイコールオーバーフィルタリングの問題です。近隣の図書館やマンガ喫茶などにあるPCを使って、どういう具合に過剰フィルタリングされているのか、実態調査を始めましょう。これは一人でも出来ます。 10:53 AM Aug 6th webから chunpai宛 http://twitter.com/hiroujin/status/20430503583

≫@chunpai オーバーブロッキング(オーバーフィルタリング)の問題が全く解決せず、反対の声が上がりにくいのは、地道な実態調査が全く行われていないからです。これは著名人ではなく一介の市民でないと出来ない仕事です。調査が終わったら結果はwebにUPしましょう。きっと反響があります 11:21 AM Aug 6th webから chunpai宛 http://twitter.com/hiroujin/status/20432568816

≫@chunpai 特に議員のサイトやblogがフィルタリングされている事実を見つけたらしめたもの。該当議員への強いアピールになります。多くの議員はフィルタリングのことなんて知りません。だから自分のサイトが遮断されていると知ると反対に回る事があります。 11:25 AM Aug 6th webから http://twitter.com/hiroujin/status/20432882016

「お手紙」をすでに出した経験のある方は、暑中見舞い・年賀状をちゃんと出そう!

要求して終了、ではなく、ちゃんと一人の人間として議員と付き合おう。

手紙を送って反応が良かったら、さらにその議員の国会質問などをチェックして感想を送ってあげよう。反応があると議員も喜ぶ。これは、同人誌の感想をもらうと同人作家が狂喜するのと理屈は同じであります。存外に「読者」からの反応というのは常に希少なのであります。たとえば中学生からの議員への手紙というのは、議員をのけぞらせるのに充分な力があります。


選挙ボランティアは思ったより敷居が低かったからできる人はどうぞ。

選ボラも大切だが個人的には票を集めることも重要だと考えている。
幸い、規制問題について周囲に話をしてきた。後は選挙にいって頂き 票を我々が薦める議員候補者、政党に入れてもらうつもり。しかし、師走のこの時期に選挙は少々厳しい印象。せめて年明けにならないものかと思う。

2012-11-15(19:06) : とある元常連 URL : 編集


自分達を多数派に見せる事が上手いだけで実は規制「推進」派も票田としては貧弱。反対派は「数」だけでも上回ってる事をアピールすべきです。規制反対の人は少なくないと思いますが「実際に動いてる人」は多いとは言えません。ロビイングの切っ掛けに最適なので是非「選挙ボランティア」として顔を売ってください。その後の意見がスムーズになると思います。


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コメント
  • No title
    2013/01/01 15:49
    >「福島は終わった」と外からがっかりする身勝手 世界はそう簡単に終わらない (安積咲)<衆院選・特別コラム>
    http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/politics/elex/gooeditor-20121222-01.html?fr=rk

    >福島県の衆院選は、自民圧勝という結果に終わりました。この結果は住民の意識が変化したというよりも、むしろ政権交代以前の状態に戻ったとも言えます。福島2区の郡山市、旧市街地に住む私の主観ですが、そこで投票した多数の住民たちは、自民党への期待感よりも、他に託せる候補者がいないという理由による判断を下したではないか、と感じられます。

     地方政治での得票には、政党や政策より先に、長く培われてしまった地元の人間関係や、利権のようなものも深く絡んでいるのは事実です。今回もその影響が無かったとは言えないでしょう。

     ですが、その地方での人と人とのつながりが、全て悪いとも限りません。地元に強いという事は、その地での人間関係を重視しているという事でもあります。震災時にその繋がりがいち早い救済行動に繋がったという事実もありました。

     先の選挙の際には、政権交代で全てが変わると言わんばかりの華やかな報道がされていましたし、ここに住んでいてもそんな希望に溢れた声を聞きました。けれども結局そのような劇的な変化は訪れず、その上震災に遭い、その復興が遅々として進まない状況に、前政権への希望を失い、それまで長く地元とのつながりを保ってきた代議士に票を投じたのかもしれません。

     しかし、報道やインターネットの一部では、福島県でのこの結果を嘆く声が多く見受けられました。「福島県民にはがっかりした」「福島は終わった」といった発言や、更に見苦しい明らかな軽蔑の言葉までもありました。

     その幻滅の一つは、自民党の圧勝という偏りにあるでしょう。それは分からなくもありません。いずれにしても一政党の議席が大多数を占めてしまう状況が好ましいとは言えません。

     ここまでの偏りは予想外としても、現政権が政権を奪還した事で何もかもが良くなるなどと夢想する住民が、ゼロとは言わないまでも多いとは思えません。そこまで事態が単純ではないと、住んでいる人間ほど身に染みて分かっているはずです。

     けれど、外部からの嘆きの声の多くは、原発問題との関わりについてでした。脱原発を強く推した候補が落選したからでしょう。
     私にとっては、この福島の選挙結果をその視点だけで捉えられる事は、残念でなりませんでした。
     選挙前のコラムにも書かせて頂いたように、震災後の原発問題に苦しめられ、未だに問題を抱えてきたのは、誰よりも福島に住む当事者たちです。その住民たちが選択した結果を、自分たちの望む結果ではなかったからと言って、即座に否定する。それは非常に身勝手な言動にしか、私には思えません。

     地元の声を聞いて欲しいと、私は書きました。
     選挙の結果が地元の声の全てだと言うつもりはありませんが、なぜそんな結果になったかをまず、考えて頂きたかった。その選択をした人々が、今、何を望んでいるのかを。それが「地元の声を聞く」事ではないでしょうか。それをせずに絶望感に浸る人は、結局被災地に暮らす人の気持ちを見ようとはしなかったのだな、と私は思います。

     思えばあの震災以降、何度も「絶望的だ」という声を聞きました。「もう終わりだ」という声も。
     津波や震災で大切な家族や家や仕事を失ってしまった方々、原発事故のせいで故郷に戻れずにいる方々、そんな人たちがそれを言うのなら無理もないと思ったでしょう。
     ところが、私が見受けたその半分、いや多くは、被災地から遠く離れた人たちからのものでした。
     衣食住が足りていても悩みを抱えている人はいるでしょう、人それぞれに問題はあるでしょう。そこに順位をつけるつもりはありません。それでも私は思いました。
     絶望とは、なんと軽々しい言葉になってしまったのかと。
     地上が裂けるのではないかと思うような地震を経験し、この場所さえも放射性物質の降下により避難区域になるかもしれないと怯えたあの日、「もうだめだ」「絶望的だ」なんて言葉は出てきませんでした。

     絶望している暇などなかった、と言ってもいいかもしれません。とにかく、何ができるか、どうすればいいのか、具体的に何をするべきか。自分の置かれた場所など比較にならないほど凄惨な状況が他にあったからこそ、逆に冷静になっていました。

     そしてたまたま私の身近には、ライフラインの復旧や避難所に携わった人間がいました。そんな彼らが、自身も被災者であるのに、寝食も満足に取れずに動いているのを見ていれば、絶望に浸っている事などできませんでした。私自身が役に立たなくとも、己の気持ちに負けていては、あまりにも恥ずかしいと思いました。

     一瞬にして失われた日常を取り戻すために、必死に動いていた人たちが、あの窮状を支えていた。己の失望や恐怖に押し潰される暇さえなく、誰かを助けるために、必死に動いていた方々が、今の私たちの生活を支えてくれていているのだと思います。

     選挙結果が自分にとって思わしくなく、例えば脱原発を求める自分の欲求が即時に満たされない結果であったとしても、すぐに全てを投げ出して「もうだめだ」と口にする事は、より凄絶な現場で絶望と戦いながらここまで暮らしを支えてきた人たちに対して失礼だとは思いませんか。

     ましてやそれが今回の選挙の立候補者であったなら、私はそのような人間に政治を任せようなどとは決して思えません。
     復興への道が長いからこそ、簡単に物事を投げ出すような言動を見せる相手が、信用されるはずがありません。それが、人の命や未来を大切にするなどと謳った人間ならば尚更、空々しい。

     私はこの名前でツイッターで発言を始めた頃、「福島を勝手に終わらせるな」と書きました。当時、原発事故後の混乱の中、「もう福島は終わった」という発言や、「ノー・モア・フクシマ」などといったスローガンを目にするようになったからです。

     この地に住み続けている人間に対して「福島は終わった」という言葉を投げつけられる事が、どれだけ住人の気持ちを傷つけたか。ここでは確かに続いている日常を「終わった」と切り捨てられる事が、どれだけ悔しかったか。

     終わってしまったのはその言葉を口にした人間の気持ちであり、福島ではありません。
     より深い絶望の淵からも立ち上がろうとしている人がいる場所に、外部から諦観を突き付ける権利が、誰にあるのでしょう。
     被災地を「終わった」と決め付ける事、己の絶望を押し付ける事を、まず考え直して頂きたいと思うのです。
     戯曲や小説では、大震災や原子力発電所の事故によって終焉を迎える世界が多く描かれましたが、幸い日本も、福島も終わらずにこうして続いています。
     それは良くも悪くも政権に関係ない一人ひとりが、あの1年9ヶ月前に心を砕き力を尽くした結果であり、今日がその築き上げた「未来」です。
     世界はそう簡単には終わらない。
     それが、あの震災を経て、強く感じた事です。
     終わっていないなら、まだ訪れてはいない本当の終焉を嘆く前に、出来る事があるはずです。
     簡単にそれを諦めては、この震災を乗り越えるために踏み留まった人たちに恥ずかしい。
     終わらせないための変化は必要だと、私も思います。でも、今まで辿ってきた道を全否定するだけがその方法だとも思いません。
     よく田舎の人間は新しい動きを嫌うと言いますが、それは繋がりの深い人間関係の中で信頼を得るまでに時間がかかるからでもあります。
     その地を作り上げて来た人々や、その歴史には、例え多少の悪習が含まれていたとしても、それなりに意味があります。そこに敬意や感謝を払おうとしない態度は、その地に暮らす人への侮辱とも言えます。

     澱み切った関係性を見直すのは当然必要ですが、極端な浄化は人々の反発や混乱を招くだけであり、その変化には時間と忍耐が必要です。
     全てを否定せず、もちろん盲信もせず、反省と変更を繰り返しながら、少しずつ前に進むという姿勢は忘れずにいる事。それが、複雑な関係を抱えたままの、震災復興半ばの地方では、避けられない方法のように思います。

     また、それは地方に限らないかもしれません。時に人は劇的な変化を夢見て、世界を変えるという言葉に酔いしれがちですが、未来が明日の先に続くものと同様に、世界が変わるその時も、己の目の前の些細な何かを変える事こそが、最初の一歩なのです。

     そして、またあの震災が遠い過去へと流されて行く中で、最後にどうしてもこれだけは伝えておきたい事があります。
     被災地で復興へ向けてがむしゃらに頑張り、物理的にも精神的にも耐え続けてきた中には、疲れを見せる人が増えています。中には政治に対しても、落胆も期待も何もかもを求められないほどに疲弊している人もいます。

     どうかその人たちより先に、世界を諦めないで下さい。
     政治に期待を持てないなら、だからこそ、その皺寄せに更に苦しみ続けている人たちを忘れないで下さい。
     本当に彼らを想うなら、何が苦しむ彼らを救うのか、彼らの立場になって考え、目を向ける事を止めないで下さい。
     それが、被災地とは呼べないまでも、被災地のひりつく痛みを感じる距離に生きる、私からの願いです。
    ●いろんな理由で復興が一向も進まなくそれ故に「福島県民にはがっかりした」「福島は終わった」と他人事みたいに軽々しく言葉にするマスコミやネットの身勝手さには呆れます。
    私は思うのです、震災などで故郷は破壊されても一人でも故郷を思うものがいる限り再生すると信じております。
    それが10年50年掛かってもいつかは元に戻ると信じています。
    何度壊れても失っても来るのは終わりではなく再生です。
    ネットで「●●終わった(オワタ)」とかの言葉を目にしますが上記の記事の言葉を借りれば、終わったのはその言葉が指してるものではなく、この言葉を書いてた者の気持ちである。
    震災復興だけではない、表現規制などもそうで反対派は不利になってその一部は「終わった」と言うけどさっき言ったことと同じ事が言えます。
    私はこの先大丈夫なのかと不安に思い、少し落ち込んでいるが終わったとは思っていません。
    震災復興や表現規制の反対活動はまだ途中なのです。
    震災復興への道は福島県民にとって長く苦しい旅です。
    旅にはその途中で疲労するし障害があることは当たり前です。
    故に宿屋や休憩所、ガイドなど旅の手助けをしなければいけません。
    私たちは他県の人間ですが福島県民の震災復興への旅の手助けをし続けなければいけません。
    この世に大小関係なく不動なものなどありません、権力も歴史も幸福もそして災禍すらも・・・・
    上記の記事では原発事故のせいで「もう福島は終わった」とか「ノー・モア・フクシマ」とか放射能汚染の悪影響がいつまでも続くような事を言葉には頭にきます。
    けれどもそんな悪影響はいつまでも続くわけではないし不動ではありません、福島を復興させる気持ちを実行しそれを頑張れば完全ではないけれど福島は住めるようになります。
    いつまでも福島が住めない地になってるのは震災や原発のせいではなく、その地を復興と再生させようとする意志と性根が非常に足りなく、それを行い実行力がないからだ。
    何もしないで終わったとかもう駄目だとか言う人の体たらくを見ると非常に情けないです。
    直接な支援ではなくても義捐金に募金したり物資を送るなど間接的な支援でも良いし、小さい事でも構いません。
    何度も言いますが震災復興や震災復興や表現規制の反対活動はまだ途中で大きな障害やアクシデントがあったしてもどんな手を使っても通らなければなりません。
    他のことも同じです。
    被災者の方々にとって良い年になるよう心からお祈り致します。
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