[中野晴行『まんがの「しくみ」』より転載開始]
“キャラクター”を規制したいという欲望
『非実在青少年○読本』編集人・大野修一さんに訊く
2月24日に東京都が都議会に提出したものの、マンガ家や出版、アニメ、ゲームなどの関係者からの反対で、採決先送り、審議継続となっていた「青少年健全育成条例」改正案が、6月14日の都議会総務委員会で否決された。
16日の定例本会議で廃案になる見込みだが、都は9月以降の都議会に修正案を提出する方針だ。
この問題をめぐって『非実在青少年○読本』(徳間書店)という本が5月31日、緊急出版された。
マンガ家や評論家など115人へのアンケートを中心に、インタビューや寄稿で、規制反対を訴える人々の考え方がわかりやすくまとめられ、今回の問題を読み解く恰好のハンドブックとなっている。
この本を企画・編集した徳間書店『COMICリュウ』編集長・大野修一さんに発行の経緯や編集して見えてきたことなどをうかがった。
――児童ポルノ規制に存在しない青少年を加えるという都条例改正案が出た時点で、この本を企画されたのですね。
大野 そうですね。3月に「非実在青少年」を規制するという言葉だけを聞いたとき「何でそんなものが規制されるんだ?」とびっくりしたわけです。「非実在青少年」なんて名称が出ているということがまずおかしかった。それと同時に、この問題を追っていくと、キャラクターって何なのということがわかるような気がしました。
――それはおもしろい発想ですね。確かに今回の改正案で規定されているのは、キャラクターですね。
大野 そうなんですよ。新聞やネットで「規制に反対する」「賛成する」というそれぞれの意見を見ていると、架空のキャラクターに対する考え方の違いがはっきり出ていると思うんです。これまでの規制は、マンガの規制、ゲームの規制、テレビの規制というジャンル分けができたんだけど、こんどの規制は「非実在青少年」=キャラクターが出てくるすべてのジャンルが関係しているわけです。つまり、都条例の改正はキャラクターに対する規制なんです。おそらく、マンガに対する規制だけならこういう本はつくらなかったと思います。
――“キャラクター”というものへの興味は前々からあったのですか?
大野 これは「手塚治虫ってなんだったのか」というぼくの編集者としての根源的テーマにつながるんです。おそらく、こういう問題は日本にしかないと思う。外国にはポルノ規制はあっても「非実在青少年」という言葉が出ることはないんじゃないでしょうか。手塚さんがキャラクターをリアルに悩ませ、生々しい存在感を与えることがなければ、キャラクターを規制の対象にすることはおきなかったと思うんです。
――なるほど。生々しい存在であるキャラクターが性の対象になるのが許せない、という人たちも出てくるわけですね。むしろ、規制賛成側の人たちが、現実とマンガやゲームの区別がついていないのかもしれません。
大野 ただ、ぼくがこの本を作ったのは、一方的に規制反対を表明するためではないのです。ぼくはジャーナリストではなく、編集者なので(笑)。反対を前提にするよりも、この問題に関するいろいろな人の意見を集めたかった。できればこの本は規制賛成の人たちに読んでもらいたい。規制賛成の人たちはおそらくネットにあがっている声には気づかないというか、ネットを見てもそういう部分はスルーしていると思うんです。しかし、1冊の本にすることで見てもらえる可能性があるんじゃないかと考えています。読んでもらうとわかるように、「表現の自由だから何をしてもいい」と言っている人はクリエイターにもほぼいない。みなさん社会性を持った上で意見を出しているんですね。それは実際にエロティックなものをつくっている人たちも同じなんです。極めて常識的だと思います。一方で、「オタクが気持ち悪い」と雰囲気だけで思っている人たちがいて、「規制せよ」と言うわけですね。それって「非実在オタク」でしょ(笑)。どっちがしっかりした発言をしているのか、ということですよ。
――お互いが歩み寄って、法律で縛らなくても共生できるような方法はありますか?
大野 規制派、反規制派の歩み寄れるところは、販売現場でゾーニングをはっきりする、ということになるんじゃないですか。今回のアンケートでもゾーニングに反対する人はほとんどいません。都条例の改正はそれを踏み外して、そんなものが存在することが許せない、というわけです。それはおかしいですよね。規制せよと言う人たちは、たぶん児童ポルノだけじゃなくておそらくポルノ全体が嫌なんでしょう。性的なものが商品化されるのが嫌なんです。そこに、自分たちがコントロールできる物を増やしたいという権力側の思惑が結びついて、「非実在青少年」などというおかしな言葉が出てきた、と考えるしかないですね。
――ただ、規制反対集会に行くと、規制賛成派の人たちや、一般の方たちはいなくて、反対派だけが盛り上がっているように感じます。これでは、権力の思うがままではないですか。
大野 ディスカッションの場が必要だと思います。ただ「反対集会」と言ってしまうと、規制したい人たちは「私たちの考えを理解できない人たちの集まりなんだ」と思って、警戒して出てこない。そうなると、反対している人たちは顔の見えない相手に「卑怯な奴ら」というレッテルを貼ってしまう。それではお互いの考えが最後までわからないし、それはお互いにとって不幸ですね。集会じゃなく、規制賛成派、規制反対派が集まってのシンポジウムなどが必要なんだとは思います。ただ、実現は難しいので、規制賛成の人たちにこの本を読んでもらいたいのです。読んでもらえば、規制賛成派をやみくもに敵視しているような文章はないこともわかってもらえます。賛成派、反対派のコミュニケーションのたたき台になる本だと、つくってみて感じています。
ネットを見ると規制反対に関してはずいぶん過激な意見もあるのだが、この本を読む限り規制反対の主張は極めて真っ当だ。
一部マスコミが報道するような「マンガ家が児童ポルノを擁護」というような表現が間違いということもわかる。ぜひご一読を。
おおの・しゅういち●徳間書店入社後、「少年キャプテン」編集を経て「Chara」の創刊編集長、「月刊アニメージュ」編集長を歴任。現在は「月刊COMICリュウ」編集長。
[転載終了]
興味深い内容だったので全文転載させてもらいました。
規制の問題を考える時は「推進」「反対」「賛成」と勢力を3つに分けた方が状況を把握しやすい。
賛成派とは話し合えるし分かり合う事も可能です。
しかし、推進派(日本ユニセフなど)との話し合いは絶対に出来ません。
文字通り見ている次元すら違うし、二次元と三次元の区別もつけていない。
「子どもを守る」以外の目的もある(利権や教義など)
彼等は自分達の目的を果たすまで妥協することはありえません。
コチラがひとつでも妥協してしまえば、それは彼等の主張を全て認めたことになる。
これは、レイプレイの件を見れば分かります。
業界側の人には、このあたりの事を理解してもらいたい。




